メーテルリンクの『室内』が、演劇としてかなり風変わりな作品であることは、しばらく前から聞かされていた。ある家の庭から、居間で夕べの団欒のときをすごす家族の姿が、窓越しに見えている。そのありふれた光景を見つめている人物のせりふを観客は聞くことになる。その家族に起きた不幸を知らせようとしてやってきた人物は、幸福そうな一家の姿を見て、不幸なニュースをどんなふうに知らせたものか、ためらっている。私の注意をひきつけたのは、ただ見つめられるばかりで会話が聞こえてこないという「室内」と、一方ではそれを見つめて注釈するだけの室外の人物という、その異様な構成であった。
それは少しヒッチコックの映画『裏窓』のようなもので、骨折で療養中の主人公は退屈しのぎに望遠レンズで向かいのアパートの部屋を覗き見しているが、その部屋の音声はもちろんサイレント映画のように聞こえず、やがてそこで事件が起きるのだ。『室内』は1894年に発表されている。それはリュミエール兄弟がはじめて映画を公開する前の年だ。もちろんメーテルリンクの演劇が、映画の出現となにかかかわりをもつとは思わない。しかしただ目に見えるだけの光景があり、ただそれについて語るだけの声がある、という『室内』の状況は、何か風変わりな趣向より以上のことを意味しているのではないか。すでに写真はただ見つめられるイメージを、そして電話はただ聞かれるだけの声を、人類に与えつつあった。そこで演劇もまた、見える演劇と、聞かれる演劇とに分離するということが起きたかもしれない。そのように視覚と聴覚が分裂するのにしたがって、そこに未知の何かが知覚されるようになる。そういうことが演劇にも、やがて映画にも起きたのである。
メーテルリンクは他の戯曲『群盲』や『忍び入る者』で、こんどは盲目の人物を登場させ、ただ闇の中に響く声の演劇をつくりだしている。聞こえないイメージとともに見え聞こえてくるもの、見えない声とともに聞こえ見えてくるものに、確かにメーテルリンクは注意をむけたのである。
それにしても〈不吉な知らせ〉というものは、演劇の重要なモチーフであり続けてきた。
自分のまがまがしい過去を知らされるオイディプス王、父親の死の真相を知るハムレット。
しかし不幸な出来事それ自体よりも、出来事を知らせることをめぐって演劇を構想したという点でも、メーテルリンクは斬新だった。
そしてこういう斬新さは、単に劇作の手法にかかわるものではない。20世紀演劇の忘れてはならない改革者のひとりアントナン・アルトーは、まだ20代の文章でメーテルリンクに讃辞を送っている。その名は「何よりもまずひとつの雰囲気をかもしだす」。「メーテルリンクの思想は、動く寺院のようなもので、その石がひとつひとつイメージを生み出し、ひとつひとつの石が教訓である」。「その思想には建築も形態もなく、厚みと、高さと、密度があるだけだ」。そして結論しているのだ。「メーテルリンクは膜を薄くした」。それは深い真実と、最高度の真実とを隔てる見えがたい膜であり、ある日人間の精神はそれをつきぬけることになるだろう。「残酷の演劇」を提唱したアルトーと「青い鳥」のメーテルリンクとのあいだに意外な接点が、確かにあったのだ。
そういう接点は、クロード・レジの演劇によっても実現されてきたと思う。ときどきアルトーについて語ることもあるレジにとって、もちろんアルトーはただ演劇に見え透いた挑発や暴力や破壊を導いた改革者ではない。メーテルリンクについて「建築も形態もなく、厚みと、高さと、密度があるだけ」と書いたアルトーは、言語も演技も舞台空間もいちど解体して、精妙な生気の波動が行きかう場所として演劇を考えるようになった。
クロード・レジが2010年静岡で演出した『彼方へ 海の讃歌(オード)』はフェルナンド・ペソアの長編詩を舞台作品にしたものだった。たったひとりの俳優のモノローグが、港の埠頭に立つようにして、世界の海を幻視する旅をその場で続けるのである。薄暗い光のなかで、フランス語の重厚な語りが、かなり無機的に構成された光と音とあいまって、ペソアの多重人格的な声と幻想を開放することに成功していた。アルトーによって植えつけられた演劇の夢が眼前に実現されたと思うことは数少ないが、私にとってレジの演出作品は、まちがいなくその一例である。
【筆者プロフィール】
宇野邦一 UNO Kuniichi
フランス文学者、批評家。立教大学映像身体学科教授。著書に『アルトー 思考と身体』(白水社)、『ジャン・ジュネ 身振りと内在平面』(以文社)、『映像身体論』(みすず書房)などがある。